種々御振舞御書に大聖人様が八幡大菩薩に訴えかける御文があった。

「いかに八幡大菩薩はまことの神か、和気清丸が頚を刎ねられんとせし時は長一丈の月と顕はれさせ給ひ、伝教大師の法華経をかうぜさせ給ひし時はむらさきの袈裟を御布施にさづけさせ給ひき。今日蓮は日本第一の法華経の行者なり。其の上身に一分のあやまちなし。日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間大城におつべきをたすけんがために申す法門なり。又大蒙古国よりこの国をせむるならば、天照太神・正八幡とても安穏におはすべきか。其の上釈迦仏、法華経を説き給ひしかば、多宝仏・十方の諸仏・菩薩あつまりて、日と日と、月と月と、星と星と、鏡と鏡とをならべたるがごとくなりし時、無量の諸天並びに天竺・漢土・日本国等の善神聖人あつまりたりし時、各々法華経の行者にをろかなるまじき由の誓状まいらせよとせめられしかば、一々に御誓状を立てられしぞかし。ささるにては日蓮が申すまでもなし、いそぎいそぎこそ誓状の宿願をとげさせ給ふべきに、いかに此の処にはをちあわせ給はぬぞとたかだかと申す。さて最後には日蓮今夜頚切られて霊山浄土へまいりてあらん時は、まづ天照太神・正八幡こそ起請を用ひぬかみにて候ひけれと、さしきりて教主釈尊に申し上げ候はんずるぞ。いたしとおぼさば、いそぎいそぎ御計らひあるべし」

これは大聖人様が龍ノ口の首の座に連行される途中で八幡大菩薩に語りかけたのかと思うが、

凡夫の立場ならば、処刑される前に、八幡大菩薩に命を助けて頂くように祈願するという感じでなのか
「どうか助けてください」
となると思うが、

「いかに八幡大菩薩はまことの神か」
「いたしとおぼさば、いそぎいそぎ御計らひあるべし」

ある意味驚くべきことかと思う。

まったく天照大神や八幡大菩薩を叱責しているようで、これでは天照大神も八幡大菩薩もタジタジで、凡夫なら怖くて、こうはいかない。

やはり凡夫とは境涯が違う!

日蓮正宗の信徒にとっては大聖人様は仏様と知っているでこういうこともありかと思うが、一般の人にはわからない。
このようなところにも大聖人様の仏様としての御境涯が表れているように思う。

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