10月度の御報恩御講に参詣致しました。
御書は、佐渡御書
「悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は、師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。これおごれるにはあらず、正法を惜しむ心の強盛なるべし。おごる者は必ず強敵に値ひておそるゝ心出来するなり。例せば修羅のおごり、帝釈にせめられて、無熱池の蓮の中に小身と成りて隠れしが如し。正法は一字一句なれども時機に叶ひぬれば必ず得道なるべし。千経万論を習学すれども、時機に相違すれば叶ふべからず。」(御書579ページ)
御書は、佐渡御書
「悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は、師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。これおごれるにはあらず、正法を惜しむ心の強盛なるべし。おごる者は必ず強敵に値ひておそるゝ心出来するなり。例せば修羅のおごり、帝釈にせめられて、無熱池の蓮の中に小身と成りて隠れしが如し。正法は一字一句なれども時機に叶ひぬれば必ず得道なるべし。千経万論を習学すれども、時機に相違すれば叶ふべからず。」(御書579ページ)
【通釈】 悪王が正法を破ろうとし、邪法の僧等がそれに味方して智者を滅ぼそうとする時は、師子王のような心を持つ者が必ず仏になるのである。たとえば日蓮のとおりである。これは騙って言うのではなく、正法を惜しむ心が強盛なるがゆえである。