11日は第二日曜日で5月度の御報恩御講に参詣致しました。
御書は、『椎地四郎殿御書』
「法華経の法門を一文一句(いちもんいっく)なりとも人(ひと)にかたらんは過去の宿縁(しゅくえん)ふかしとおぼしめすべし。経に云(い)はく「亦(また)正法(しょうぼう)を聞かず是(か)くの如(ごと)き人は度(ど)し難(がた)し」云云。此の文(もん)の意(こころ)は正法とは法華経なり。此の経をきかざる人は度しがたしと云ふ文なり。法師品(ほっしほん)には「若是(にゃくぜ)善男子善女人(ぜんなんしぜんにょにん)乃至(ないし)即如来使(そくにょらいし)」と説(と)かせ給(たま)ひて、僧(そう)も俗(ぞく)も尼(あま)も女(おんな)も一句(いっく)をも人にかたらん人は如来の使(つか)ひと見(み)えたり。」(御書1555頁)
御書は、『椎地四郎殿御書』
「法華経の法門を一文一句(いちもんいっく)なりとも人(ひと)にかたらんは過去の宿縁(しゅくえん)ふかしとおぼしめすべし。経に云(い)はく「亦(また)正法(しょうぼう)を聞かず是(か)くの如(ごと)き人は度(ど)し難(がた)し」云云。此の文(もん)の意(こころ)は正法とは法華経なり。此の経をきかざる人は度しがたしと云ふ文なり。法師品(ほっしほん)には「若是(にゃくぜ)善男子善女人(ぜんなんしぜんにょにん)乃至(ないし)即如来使(そくにょらいし)」と説(と)かせ給(たま)ひて、僧(そう)も俗(ぞく)も尼(あま)も女(おんな)も一句(いっく)をも人にかたらん人は如来の使(つか)ひと見(み)えたり。」(御書1555頁)