―総集編―
―とても考えられない事件・事故―
―仏罰を恐れるなら今すぐ脱会を!―

(『慧妙』H17.9.16ほか編集)

日蓮大聖人は、
「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よリも現証にはすぎず」(御書874、全集1468頁)
「末法の法華経の行者を軽賎(きょうせん)する王臣・万民、始めは事なきやうにて終(つい)にほろびざるは候はず」(御書1397、全集1190頁)
と仰せられ、正法に背く者には、必ず厳しい仏罰があることをお示しくださっています。
これを言い換(か)えるならば、仏罰が続出する団体は、表面上、いくら綺麗事(きれいごと)を並べようとも、その実態は大謗法団体である、ということになりましょう。
さて、創価学会を眺(なが)めてみますと、その機関紙である『聖教新聞』の1面には、やれ池田大作がどこそこの国から栄誉称号をもらっただの、どこそこの大学から名誉博士号を送られただのという、”綺麗事”で埋め尽くされていますが、その中身を見ると、悪名高き紙上座談会に代表されるように、正法たる日蓮正宗への悪口誹謗が充満しています。そして、それらを真に受けた学会員は、日蓮正宗攻撃に余念がありません。
となれば、多くの学会員が仏罰に苦しむことになるのは必然でありますが、学会員はその現実を、けっして直視しようとはいたしません。
そこで、本紙は今回、そんな一般学会員の目を醒ますべく、学会員の身に降りかかった仏罰の大特集を組むことといたしました。

学会員の皆さん、この現実を、どうぞ直視してください!【あまりにも違い過ぎた臨終の相】
生まれて初めての一番身近な肉親の死は、母によって迎えました。母は、家族と共にお題目を唱えながら息を引き取ったのですが、母の相は、臨終(りんじゅう)の瞬間に口元と頬(ほお)に赤身が差して血色が良くなり、それを目(ま)の当たりにした私たちは、三世の生命を確信しました。
さらに不思議なことに、母の生え際(ぎわ)の白髪はいつの間にか黒髪になり、時間が経(た)つほどに色白く柔和(にゅうわ)な相になって、私の主人が「お棺の中のお義母さんが、すごく笑っているよ」と皆を呼びに来たほどでした。
その後、父も、70歳を目前にして病気で亡くなったのですが、父の臨終の相は、まだ生きているのではないか、と見まがうほどで、主治医の先生やご近所の方々からも、「いろいろな人の最期を見ましたが、こんなにきれいな顔は見たことがない。本当に生きているみたいですね」と感心されました。
一方、母が亡くなる少し前のこと、知り合いの学会員の息子さんがとても若くして亡くなりました。葬儀は学会葬でした。地域の学会幹部が導師を務めるなか、棺の中の息子さんは、肌が濃茶色に変色して頬が突き出し、前歯も飛び出て苦しそうに目をギュッと閉じていました。この形相を見て、この学会員は、いったい息子さんをどこに導いたのだろうか、と恐ろしくなりました。ところが驚いたことに、親族の学会員らは「成仏の相だ」と言っているのです。(記事参照)

【弟の自殺と非情な学会】
ところが、平成3年頃、夫が創価学会の異変に気づき、池田大作を批判したり、私の活動にも文句を言うようになってきました。
私は、聞く耳をもたず、「先生に弓を引くようなことをしてはならない!」と夫に言っては、ケンカになることも度々でした。
しかし、やがて組織からは「お寺に行くな!登山はしなくていい!」という指導が頻繁に出るようになり、これには私もさすがに疑問を持ちはじめました。
そんな矢先の平成3年8月13日、とんでもないことが起きてしまいました。公明党の国会議員秘書をしていた弟が自殺してしまったのです。
私には、とても信じられませんでした。
優秀な弟でした。国会答弁の原稿を作ったり、マスコミ関係者との交流もあり、公明党の中国訪問団の一員として、先陣を切って中国へも行った弟でした。
弟の謎めいた日記のようなものも見つかり、「なぜ?どうして?」と、嘆き悲しむばかりでした。
さらに不審だったのは、公明党の職員が来て、その人と、創価学会の圏幹部をしていた3番目の妹と母とで話をした結果、”このことが外部に漏れては池田先生に申し訳ないので、弟の葬儀は行なわない”ということになった、というのです。
弟と同居していた母も、その後しばらくは、近所の人々の目を避け、隠れるように妹の家に身を寄せました。
長姉の私には何の相談もないまま、事が進められたのです。
それにしても、いったい、どうしてこんなことになったのか。弟は、一生懸命に学会活動をして、組織のために頑張ってきたのに、自ら命を絶つという、仏法上、考えられない末路となってしまいました。そして、その弟の死について、創価学会や公明党は、なかったことのように扱い、一切は闇に葬られてしまったのです。そのあまりに非情な対応に、私は悔しくてなりませんでした。
そして、そのことがキッカケとなって、うすうす懐いていた池田大作と創価学会に対する不信が確たるものとなり、夫とも話し合えるようになっていったのです。(記事参照)

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