顕正会が盛んに宗門に対 して、御遺命破壊 といって、過去の宗門僧侶の言葉 を取 り上げて攻撃 している。 これは正本堂建立に関 しての問題である。 しか しなが ら、会長の浅井昭衛は次のように云つていた。

「私はいま一度、御遺命守護の完結とはどのような姿を云うのか、またなぜそうしなければならないのかということについて、はっきりとさせておきたい。(中 略)完結の姿とは、大聖人の御法魂たる戒壇の大御本尊を、汚れた正本堂より元の清らかなる奉安殿に御遷座申し上げることでございます」
(顕 正新聞 S52.5。 10~ 15合併号)
「このお寺は誰のものでもない。日蓮大聖人のものであり、御遺命守護完結のその日まで、私たちがお預かりしているに過ぎないのであります。よって、御遺命守護完結のその日には、この顕正寺は時の御法主上人猊下に御供養申し上げることになっています」(顕正新聞 S53.3.15号 )

平成 10年 4月 5日 、戒壇の大御本尊は正本堂より奉安殿 に御遷座 された。
これを喜んだ浅井会長は御遺命守護完結奉告式を行った。


「御本仏 日蓮大聖人の尊前において、本 日ここに、御遺命守護の完結を、報告し奉るものであります。(中 略)大御本尊は、清浄にして堅固なる新奉安殿に、還御あそばされました。(中 略)い まついに御本仏の御威徳により、謝惑 (お うわく)は根底より清算され、不敬は完全に解消されたのであります。 (中 略)すでに不敬は解消し、またいかなる大地震にも大御本尊様は御安泰。いまや後顧の憂いは全くなし」
(浅井昭衛・御遺命守護完結奉告式奉告文抜粋/顕正新聞 H10。4.15号)
さらに、
「顕正会は、今の宗門には、もう求めるもの何ものもない。不敬さえ解消されればそれでよい。いかなる大地震にも大御本尊様が御安泰であれば、もう後顧の憂いはない」 (顕 正新聞 H10.5。 5号)
 
 これで、顕正会の御遺命守護の活動は終わったのである。後は宗門に復帰すれば良いだけであった。顕正寺を御法主上人に御供養するはずであった。
ところが、浅井はその後全 く沈黙 した。 とうとう大石寺の門をくぐることはできなかった、 と言うよりしなかったのである。顕正会会長 とい う我が身を守ったのである。それか らは、開きなおって、邪悪な正体を現すのである。
 平成 11年 に、突如 として血脈の否定を始める。

「細井管長は昭和五十四年七月二十二日、入院していたフジヤマ病院で、臨終思うようにならず急死を遂げた。貫首の立場にある人が、誰もそばにいない時、一人で急死してしまった。よって御相承をすることができなかったのであります。まさしく御遺命に背いたゆえに、細井管長は御相承を『授ける』ことができず、阿部管長また御遺命違背の科によって『受ける』ことができなかった。『授』なく『受』なしであります。」
(顕 正新聞 平成十一年四月二十五 日号)

そもそも浅井は、血脈相承が断絶無く続いていることを力説 していました。

「かくて日道上人・日行上人・日時上人0日 阿上人・日影上人・日有上人と『本
門戒壇の大御本尊』を付嘱の法体として代を重ねること六十七,清浄の法水はいささかも断絶することなく今日に至っている。これが正系門家、富士大石寺の伝統である。」 (富士 昭和六十一年十一月号)
「阿部管長憎しのあまり、そして池田大作を偉く見せるために、ついに下種仏法の命脈たる金口の相承までも学会は完全否定 してしまったのであります。 (中略)こ れを仏法破壊といわずして、何を仏法破壊というのか。これを大謗法といわずして、何がいったい大謗法でありましょうか」
(顕 正新聞 平成四年六月五 日号)
「戒壇の大御本尊は一日として付嘱の人の空自ということがない。またこの付嘱に付随して『金口の血脈』もなくなることはない。何代、代を重ねようとも、また面授の儀式があろうとなかろうと、断絶もせず、色も替わらず、伝えるように出来ているんだ。これが御本仏の御仏智なのです。だから御相承の儀式のあるなしは、本質的には全く問題はない。断絶などはあり得ないのです。」(顕正新聞 平成五年一月五 日号)

 かつての浅井自身の言葉が、現在の浅井の血脈誹謗を破 しています。「これを仏法破壊 といわず して、何を仏法破壊 とい うのか、これを大謗法といわずして、何がいったい大謗法であ りま しょうか」 と。
この血脈相承誹謗 と期を同 じくしてニセ本尊作成 (平成十一年以降)を始めるのである。

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