総本山65世日淳上人様の全集にあったと思うのですが「師を求むべきである」という題が一般の人や創価学会崩れの人にはぴったりくるのではないかと思う。
死後のことを考えないから、もちろん縁のある親や故人の追善供養などはしない。
今後、不景気が長引けばさらにこういう傾向がつよくなるのではないだろうか。
道に迷って、そこであきらめてしまっては道を得ることはないが、我に師なしという者は前者よりもさらに道を得ることはないということだったと思う。
正師とは日蓮正宗とその門流であるとの結びだったと記憶している。

kokoroe