問い合わせへの返信、【】内は問い合わせの内容です。

【「必ず戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信仰の根本としなければならない」平成3年創価学会解散勧告 
「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にまします」平成3年7月31日能化文書
いつからかはわかりませんが、平成3年には既にこの己義を構えていたようです。】


己義?
私は、日興上人様以来、日蓮正宗はずっとそのように思っていました。


【宗門では弘安2年10月12日の御本尊を三大秘法の随一・一大秘法であると定めていますが、そもそも日蓮大聖人は御書の中に一度も弘安2年10月12日の御本尊のことを述べられていません。】


御書に全てがのべられているわけではありません。特に甚深の法門ですから、御書に曰く「言葉を尽くさず、言葉は心を尽くさず。」
秘伝でもあります。現在に伝わっている日蓮正宗の教義に私は納得しているのいです。

〇〇さんは、御書を読んでどんな法門を展開されますか。
道理から考えて無理があると思います。


【このように、日蓮大聖人が法を付属されたのは日興上人ただお一人です。代々の法主までもが相承を受けたのではありません。日蓮大聖人は一度も御書の中で戒壇の本尊や代々の法主に対する相承のことを仰せになっていません。】

山法山規ということもあります。不文律もあります。 袈裟衣や題目の唱えかた、題目三唱の仕方について等も御書には詳しく書かれていません。
書かれていないことはどうでもいいのでしょうか。
法主に対する相承を仰せになっていませんとは、なぜわかるのでしょうか? 
大聖人様が、そのあとは知らんよというような無責任なことをされるとは考えられません。
しかも末法は前回も述べたように師資相伝が道理に適います。
深い御法門を御書で全てをわかろうすること自体無理があると考える方が理に適います。
御相伝を受けられた御法主さまより、何も受けていない○○さんが判断するというのも
のもおかしなお話。それこそ依法不依人です。
法を承けられた御法主様より、承けられていない〇〇さんによることのほうが依法不依人
ということになりましょう。
どのような納得のいく法門を立てられますか。お聞きしたいところです。



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