過去に創価学会は、このような御祈念をしていたようである。
さすがに最近は、ないのであろうが、京セラドームの大会阻止などの祈念もあったようです。
今は、すっかり洗脳も行き届いたこともあって、このような祈念はないと思われます。

下は、聖教新聞の戒壇の御本尊様否定の記事ですが、誠に自分たちにとって都合の良い幼稚な解釈に終始している。
信心のあるものが、血脈の断絶などと言うであろうか。仏様を信じていないからそのようになるのであり、創価学会に仏意仏勅があるといいながら御本尊書写はできないでいる。いろいろと矛盾をはらんだ。道理の通らない邪宗教となってしまったのである。

信心を間違えるがゆえに行いも、とんでもないものになってしまう見本のようなものです。


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