聖教新聞を読んでいてふと思ったことがある。
それは聖教新聞は、宗教の新聞でありながら営利を追求している商業主義の新聞ではないか?ということだ。
1家で2部或いは、それ以上とる家もある。
普通の新聞ならまずあり得ない、ほとんど聞かないことである。
それが創価学会員となると、よく聞く話になるのだ。
牛乳やヤクルトのような飲料ならわかるが。

活動に使うから、ということだが、それなら他人に新聞をすすめないで活動用にとった聖教新聞を差し上げればいいではないだろうか。

私などは、折伏の際、法華講の新聞をとるようにはすすめない。ただで渡すことがおおい。
しかして、創価学会員などはただでお渡しする新聞でも受けとらないのだ。

通常の新聞なら拡張に相当な費用をかけているにもかかわらず、創価学会は無償で会員を拡張の営業員にしているのではないだろうか。
創価学会員は、そのような点もよく考えなければならないのではないか。
下記の記事などももっともらしいことを書いているが、根本である本尊が偽であったり、教義において矛盾があったりして表面だけ繕った邪教の新聞であると言わざるを得ない。
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